ゼロ号患者の痕跡【第3回】la 3ème partie de l'article

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Jérôme Salomon au point de situation

Jérôme Salomon au point de situation

【第3回】ゼロ号患者の痕跡

2月26日、リヨンでは、トリノのユベントスとオリンピック・リヨネのサッカー試合が予定通り行われた。すでにイタリアでは集団感染が発生しており、3000人に上るイタリアからのサポーター到来に危惧する向きもあったが、リヨン市や厚生相 が試合決行を支持した。この日に厚生省で行われた記者会見で厚生相は「国内で伝染病は起きていません」「隔離した病人は数人いますが、いずれもいかに感染したか説明できるケースです」と言っている。ヴァロトーのケースを彼は説明できるのだろうか?

 

その前日、報告を受けたフランス保健局と地方保健局の6人の伝染病専門医が調査を開始していた。ジャン・ピエールとヴァロトーがどのように感染したかの調査である。彼らは、警察が連続殺人犯を追うように、伝染病を追跡する。食中毒や中東コロナウイルスMERSなどが発生した時、インデックス・ゼロと呼ばれる「ゼロ号患者」を特定する為に、その家族、隣人、同僚、友人など、すべての接触した可能性のある人たちに話を聞いた。この調査員のひとりであるアレクサンドラ・マイユは「これまでの感染者はひとりを除いて皆中国と直接関係があった人たちです。ところが、今回のふたりと中国は関連がなく、固有のケースなのです」と言う。しかも、ジャン・ピエールとヴァロトーの感染確認が遅れたことで、多くの人は防護対策なしに彼らと接触してしまった。

 

ヴァロトーの死はオワーズ県にトラウマをもたらしたが、基地の職員が感染したというニュースは風聞と不安を掻き立てることになる。ジャン・ピエールの感染が判明した2月25日から3月4日の間に、ウイルスは急速に広がりを見せた。基地関係者16人が陽性となり、さらに17人目も見つかる。このうちの4人は軍病院に入院した。また重篤となったひとりは未だにアミアンの病院に入院したままだ。地方保健局はオワーズ県での調査を続けていた。

 

2月27日、保健局は知事、副知事、クレピ・アン・ヴァロワ市長のブリュノ・フォルティエと会合を開く。ヴァロトーが教鞭をとっていた中学校を閉鎖し、消毒しなければならない。そして、生徒と職員を隔離する。会合を終えた市長に1本の電話が入った。伝染病調査グループのひとりからである。「ヴァレリー・Mをご存知ですか?」ヴァレリーは、件の中学校から300メートル離れた所にあるジャン・モネ高校の教師で、ヴァロトーの妻の同僚であり、友人でもあった。ヴァレリーはすでに深刻な症状があり、検査結果は陽性でトゥルコアンの病院に運ばれた。この時、電話口では市長も咳込み始めていた。それに先立つ2月13日に、市長は春休み前に最後の市議会を開いた。100人が集まったこの会議には、ヴォモワーズ村長も含まれ、ヴァロトーはその村議会メンバーであり、ヴァレリー・Mも隣村の村議会のメンバーだった。そして、彼らは会議の最後にシャンパーニュで乾杯した。

これらの情報を得て、パスツール研究所の10人ほどのスタッフがクレピ・アン・ヴァロワに到着した。ジャン・モネ高校の生徒と関係者の血液資料を集めるためである。

 

29日、仏保健局のサロモン局長は定例記者会見で「オワーズ県で36人の感染者が確認されました。フランスで最も大規模な集団感染です」と発表した。そして「ふたりの感染者は2月初旬に発病し、彼らは他の感染者から感染したと考えられるので、この《ゼロ号患者》を探しています」と付け加えた。この時、初めて《ゼロ号患者》という言葉が発せられたのである。局長は「武漢からの帰国者は誰も感染していませんでした」とし、この件は終了としたが「ふたりは空軍基地で働いている友人と定期的に接触していました」との新事実を明かした。彼はウイルスが基地内で広がっている可能性を示唆したのである。【次回に続く】

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